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ピッチャーは最後まで腕を振り切った方が、故障リスクを抑えられるはず [スポーツ]

このブログ内の記事にあるのだが、2019年のセンバツの星稜戦で、飯塚脩人は一撃必殺の二塁牽制を決めた。実はあの時、気になったことが一つあった。腕を振り切っていなかったことだ。ピッチャーはコントロールを気にしすぎると、腕を振り切らないで、途中で止めてしまうことがある。この動作は故障リスクを高めるはず。飯塚くんの場合は、牽制の1球だけだったので、さほど問題はないのと思うのだが、対戦相手だった奥川恭伸は、投球の際、まれに腕を止めてしまうときがある。
ピッチャーは最後まで腕を振り切った方が、故障リスクを抑えられるはず。

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藤井聡太と武豊と特別な時間 [将棋]

藤井聡太と対戦するベテラン棋士が、これ以上はできないほどの最大限の準備をしてから対局に臨んだという記事を読んだ。かつて武豊が全盛期だった頃、武豊に乗ってもらう馬主はレース当日に期待と緊張感を高めて、競馬場に向かっていたらしい。
スーパースターにとってはルーティンワークでも、彼らと接点を持つことができた人間にとっては特別な時間。そんな特別な時間を他人に与えられるのが、スーパースターなのかもしれない。
藤井聡太棋聖はすでにスーパースターということか。


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戸郷翔征 読売 [スポーツ]

高校時代から、アーム投法だと思っていたが、最近の動画を見たら、投球の際に伸ばした肘を一回曲げてから、再度伸ばしているようだ。これなら故障リスクとか、問題ないのかな?

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岐阜は名古屋の植民地!? [雑感]

昔、岐阜県の本屋で見かけた、本のタイトル。調べてみたら、続編もあるようだ。タイトルが気になっただけで、中身は知らないのだけれど。


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7月100本目の投稿 [雑感]

昼11時頃、ゆうパックを出しに行ったら、郵便局の外まで行列ができていて、15分くらい並ぶことになった。休日の昼前は、いつもこんなに混んでいるのだろうか? 発送を終えてから帰るとき、最後尾の人に「2時間くらいかかりますよ」と、言いたくなったが、自重した。さっきまで、相変わらず「ちょっと変にハイになって」いた。
午後、ちょっとハードな散歩を終えて、今は落ち着いている。
100本目の投稿だし、このくらいで、ひと区切りかな。

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イケメン人狼アイドルは誰だ その5 [新型コロナウイルス コビット19]

ことわざ「人を見たら、イケメン人狼と思え」。
最近、リアルタイム検索しても投稿数が極端に減ってしまった。残念ながら、ことわざ辞典に載るのは難しそうだ。

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奥川恭伸 高校2年の夏~ 性格の良さは、テレビを見ているだけでもわかる。 [スポーツ]

ウチの家族が、テレビで石川県の高校野球予選を見ていた。たまたま奥川が投げていたので、ちょっと見たら、バッターの緩いゴロをファーストが前進して捕るところだった。そして、ファーストがゴロを捕るころには、奥川はすでに一塁ベースに入っていた。奥川のベースカバーはめちゃ早かった。足が速いという意味ではなく、タイミングが早かったのだ。普通のピッチャーは走って疲れるのがイヤなので、ボールと野手の動きを見てから、ようやく1塁に走る。しかし、このときの奥川は、打球の方向だけを見て、すぐに1塁に向かったのだろう。自分は野球経験者ではないので、これが基本動作なのか知らないのだが、奥川は小学校・中学校の指導者から「すぐに走れ」と教わって、それをきちんと実行していたことが感じられた。2年のとき、奥川が高校日本代表に呼んでもらえたのは、こうしたプレーをきちんとやる性格も評価されていたように思える。成長していく人間は、周囲の先輩たちから「こいつは素直な性格で、伸びていくヤツだ」と思ってもらうことも大切。そのほうがチャンスがもらえるからだ。

高校日本代表対宮崎県代表との練習試合でも、おもしろいことがあった(このときの宮崎県代表は、この練習試合のために、大学生と練習試合をするくらい準備をして、戸郷翔征(現・ジャイアンツ)もスカウトにアピールしようとめちゃ気合が入っていた)。おもしろいことというのは、奥川が代打で出てきたことだ。交代のタイミングでピッチャーに打席が回ってきたので、登板予定のなかった奥川が代打に出されたのだ。しかも、急に言われたようだった。宮崎県代表のキャッチャーは打席の奥川に言った。「ピッチャーだよね」。奥川がベンチを見ながら困った顔で答えた。「行けって言われて」。3年生の野手がまだ残っているのに、自分が代打に出て申し訳ないという気持ちが伝わってきた。結果として、奥川は3球三振。3球目を空振りすると、奥川はすぐに全力疾走してベンチへ帰った。「自分なんかが出てごめんなさい」という気持ちがホントに伝わってきた。この性格の良さは奥川の武器だ。

この年の高校日本代表には、奥川と正反対の性格、昭和のピッチャー性格の人間がいた。吉田輝星(現・日ハム)である。日本代表はこの大会の序盤で弱い外国チームと対戦、ノーヒットに抑えていた。そのとき登板予定のなかった吉田はベンチで応援していて、勝手に「ノーヒットノーランをやるぞ」と、気合を入れていた。ところがリリーフ登板した奥川が初ヒットを許した。吉田はそのイニングを終えてベンチに戻った奥川にマジで「なんで打たれるんだよ!」と、怒っていた。報道では軽く言ったことになっていたが、映像を見る限りマジで怒っていたのは確か。これを自分は「吉田激おこ事件」と呼んで、笑いのネタとして覚えていたので、ここに披露しておく。ちなみにこの試合はゼロ封のコールド勝ちだった。ヒットは奥川が打たれた1本だけだった。

そういえば、奥川は1本だけヒットを打たれる傾向がある。2年秋の北信越大会で5回コールド勝ちなのに、13個三振を取った試合があった。普通に考えると、ノーヒットノーランでもよさそうなのだが、なぜかヒットを1本打たれていた。

奥川の1軍デビューも近そうだ。
デビュー戦では、高卒ルーキー史上最高の完成度を見せてほしい。松坂大輔と田中将大はルーキー時代の春からローテーション入りしていた。この二人と比べると、奥川は4か月以上の余裕をもらっている。その程度のレベルの高さは軽く見せられるはずだ。
自己最速も更新するだろう。自然にスピードが出るはずだし、ここで自己最速が出ないと、奥川は本番に弱いピッチャーということになってしまう。そんなはずはないので、普通にやれば最速は出るだろう。
5イニングしか投げないと思うので、得意のヒット1本だけをここでも出すような気もする。どうせならデビュー戦で5回パーフェクトをやってほしかった。そう思われるのも、奥川の持ち味に思える。ヤクルトのピッチャーの人たちには申し訳ないが、入団した瞬間から、エースは奥川だ。ヤクルトには千賀滉大も、菅野智之も、山本由伸も、いないので。
高津監督には終了後のインタビューで「ヤクルトファンのみなさん、おめでとうございます。ヤクルトに凄いピッチャーが入りました」と、言ってほしい。

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高校野球はドラフト1位投手同士の対戦がおもしろい。 [スポーツ]

1983年 水野雄仁(池田)野中徹博(中京)
2005年 田中将大(駒大苫小牧)辻内崇伸(大阪桐蔭)
2009年センバツ 今村猛(清峰)菊池雄星(花巻東)
自分がすぐに思い浮かぶのは、これくらいしかない。忘れていたが、超有名な田中と斎藤もあった。水野と桑田も忘れていた。投げ合った二人が高校からすぐにプロ入りすると、わかりやすいのだが、学年が違ったり、大学経由でプロ入りしたりすると、わかりにくくなってしまう。
期待しているのは、2019年センバツの飯塚脩人(習志野 )奥川恭伸(星稜 )がドラフト1位投手同士の対戦になること。そのためには、飯塚くんに1位でプロ入りしてもらうしかない。飯塚くんなら、できるはず。

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田中将大 2005年 高校2年の夏の甲子園 [スポーツ]

野球漫画には、肩で息をするくらい疲れているピッチャーが登場する。2塁打を打って、無理に狙った3塁でアウトになった直後にマウンドに上がったのであれば、そんなケースもあるかもしれないが、現実にはそんなピッチャーを見ることはない。はず、なのだが、自分は見たことがある。それは、2005年の大阪桐蔭戦の田中将大だ。ほんとうにバテバテだった。
大阪桐蔭には4番に3年平田良介、5番に1年中田翔がいた。2年の田中はそんな大阪桐蔭を相手に、5回までノーヒットに抑えた。しかし、さすがに終盤には疲れが出て、打たれた。それで肩で息をしていたというわけだ。この試合、田中は8回途中で降板した。ここまで投げさせた監督も、ここまで投げた田中も凄かった。相手のピッチャーは、辻内崇伸だった。1年違いのドラフト1位同士の対戦だった(この試合の詳細については、他のブログで読んでください)。

田中将大は夏の大会に続いて、秋の明治神宮大会でも優勝した。センターを守っていた本間君によると、2年秋の時点で、スライダーが140キロを超えていたらしい。3年春の出場辞退がなければ、もっと凄い田中将大を見られていたはずだ。

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釜田佳直 2012年 ルーキーイヤー [スポーツ]

2012年、驚くべきことが起きた。小松市出身の高卒ルーキーがプロ野球のローテーションに入ったのだ。数年前には、中学の軟式野球部員として、小松市営末広野球場で投げていたような人間がだ! これは見るしかなかった。しかも、真剣に。釜田の登板は日曜日の午後が多かった。自分はいつも日曜日の昼に部屋の掃除をしているのだが、この時期は掃除を土曜日に済ませて、日曜の釜田の登板に備えた。

釜田は交流戦を得意としていた。ベイの三浦大輔と投げ合った試合があった。三浦に打たれた釜田は、お返しにレフト戦にツーベースを打った。釜田は高校時代から内角の甘いボールしか打たないし、打てないバッターなのだが、そんなことを知らない三浦が内角にストレートを投げたからだ。高卒ルーキー投手のバッティングの特徴なんて、プロ野球のスコアラーも知らないんだな、ということを釜田から教えてもらった。

巨人戦では、完投勝ちした。9回のツーアウトになっても「気を抜くなよ」と、思って見ていたのだが、最後は高橋由伸にレフトライナーを打たれて、ヒヤヒヤの勝利だった。試合後の巨人選手のコメントに「スライダーの曲がり方がスコアラーから聞いていたのと違った」というのがあった。前の試合までは、縦系統の変化だったのだが、この試合は横方向に変化していたはず。それは、当時の釜田に技術がなかったので、そうなっていただけなのだが。スライダーの変化の違いなんて試合中にわかるはずなのに、プロ野球のバッターは試合が終わるまで気づかないのか、と笑ってしまった。

釜田はコントロールに問題があるピッチャーだ。フォアボールも、逆玉も、かなり多い。しかし、1年目はそれが知られていない分、バッターは荒れ球で打ちにくいと思っていたのではないだろうか。コントロールに問題があると知られてしまうと、バッターは甘い球を待っていればいい。2年目以降に勝てなくなった要因は、ここにもありそうだ。

監督の星野仙一はいつも釜田に「完投しろ」と、言っていた。当時の楽天はリリーフ陣が弱く、勝ちを消されてしまう危険性が高いという事情もあった。それでも、3歳上の辛島航は早めに交代させているのに、釜田を酷使しないでほしいと思ったものだ。結果、1年目の1軍、大久保が監督していた2年目の2軍での球数の多さが影響して、トミー・ジョンなどの手術を繰り返すことになった。「高卒ルーキー投手は球数を制限した方がいい」という現在のプロ野球の常識を作ったのは、釜田と星野の功績だ。ずっと成績が低迷しているのに、釜田がなかなかクビにならないのは、「釜田には悪いことをしたから、面倒を見てやってくれ」という星野の遺言でも残されているのかもしれない。

2年目以降は「コントロールをなんとかしてほしい」と、思って見ているのだが、なかなか難しいようだ。それどころか、中途半端にコントロールが良くなったために、先日の試合で4連打を食らったのかもしれない。

もう引退が近いと勝手に思って、こんなことを書いているのだが、復活してほしいという気持ちは強い。釜田が引退しそうだと思うと、米津の曲の「肺に睡蓮」が心のなかに響く。
できることなら、吉永と西川の分も、まだまだやってほしい。

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