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釜田佳直 2012年 ルーキーイヤー [スポーツ]

2012年、驚くべきことが起きた。小松市出身の高卒ルーキーがプロ野球のローテーションに入ったのだ。数年前には、中学の軟式野球部員として、小松市営末広野球場で投げていたような人間がだ! これは見るしかなかった。しかも、真剣に。釜田の登板は日曜日の午後が多かった。自分はいつも日曜日の昼に部屋の掃除をしているのだが、この時期は掃除を土曜日に済ませて、日曜の釜田の登板に備えた。

釜田は交流戦を得意としていた。ベイの三浦大輔と投げ合った試合があった。三浦に打たれた釜田は、お返しにレフト戦にツーベースを打った。釜田は高校時代から内角の甘いボールしか打たないし、打てないバッターなのだが、そんなことを知らない三浦が内角にストレートを投げたからだ。高卒ルーキー投手のバッティングの特徴なんて、プロ野球のスコアラーも知らないんだな、ということを釜田から教えてもらった。

巨人戦では、完投勝ちした。9回のツーアウトになっても「気を抜くなよ」と、思って見ていたのだが、最後は高橋由伸にレフトライナーを打たれて、ヒヤヒヤの勝利だった。試合後の巨人選手のコメントに「スライダーの曲がり方がスコアラーから聞いていたのと違った」というのがあった。前の試合までは、縦系統の変化だったのだが、この試合は横方向に変化していたはず。それは、当時の釜田に技術がなかったので、そうなっていただけなのだが。スライダーの変化の違いなんて試合中にわかるはずなのに、プロ野球のバッターは試合が終わるまで気づかないのか、と笑ってしまった。

釜田はコントロールに問題があるピッチャーだ。フォアボールも、逆玉も、かなり多い。しかし、1年目はそれが知られていない分、バッターは荒れ球で打ちにくいと思っていたのではないだろうか。コントロールに問題があると知られてしまうと、バッターは甘い球を待っていればいい。2年目以降に勝てなくなった要因は、ここにもありそうだ。

監督の星野仙一はいつも釜田に「完投しろ」と、言っていた。当時の楽天はリリーフ陣が弱く、勝ちを消されてしまう危険性が高いという事情もあった。それでも、3歳上の辛島航は早めに交代させているのに、釜田を酷使しないでほしいと思ったものだ。結果、1年目の1軍、大久保が監督していた2年目の2軍での球数の多さが影響して、トミー・ジョンなどの手術を繰り返すことになった。「高卒ルーキー投手は球数を制限した方がいい」という現在のプロ野球の常識を作ったのは、釜田と星野の功績だ。ずっと成績が低迷しているのに、釜田がなかなかクビにならないのは、「釜田には悪いことをしたから、面倒を見てやってくれ」という星野の遺言でも残されているのかもしれない。

2年目以降は「コントロールをなんとかしてほしい」と、思って見ているのだが、なかなか難しいようだ。それどころか、中途半端にコントロールが良くなったために、先日の試合で4連打を食らったのかもしれない。

もう引退が近いと勝手に思って、こんなことを書いているのだが、復活してほしいという気持ちは強い。釜田が引退しそうだと思うと、米津の曲の「肺に睡蓮」が心のなかに響く。
できることなら、吉永と西川の分も、まだまだやってほしい。

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