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「ゆとりですがなにか」についての覚え書き その6 「失礼しました」 [テレビ番組]

第10話 最終回
初回から第5話まで、このドラマは史上最高レベルではないかと思っていました。しかし、6話以降は、内容が急激にレベルダウンしたと思います。クドカンは話を広げるのは得意だと思いますが、まとめる能力やストーリーの説得力に欠けているようです。もし、第6話以降を古沢良太が書いていたら、「ゆとりですがなにか」は史上最高のドラマとして着地できたのではないでしょうか。

ドラマをおもしろくするためには、話を広げなければいけないわけですが、話を広げ過ぎると、収束させるだけで手一杯になってしまいます。そこに、おもしろさを加えられればいいのですが、時間が足りないと、そうもいきません。クドカン作品からおもしろさという遊びの要素を外してしまうと、普通以下のドラマになってしまいます。9話・10話は水田氏が演出したにも関わらず、遊びがほとんど入れられなかったという点で失敗だったと思います。最大の問題は、水田氏とクドカンのコミュニケーション不足だったのかもしれません。言い換えると、クドカンはもっと水田氏を頼って、まかせる部分があってもよかったのでは。

重版出来の最終回を見ました。最後まで徹底して、小学生向けドラマだったと思います。ここまでやると、さすがに狙っていたのでしょう。テレビ局サイドは視聴者やスポンサーに対して「小学生向けです」とは絶対に言えませんが、このコンセプトは徹底していたと思います。その意味では、見事でした。

「ゆとりですがなにか」の最終回を見ました。安藤サクラの演技の説得力のおかげで、なんとかなったという感じです。10話は、9話ほどストーリーがツメツメではなかったので、まあまあだったと思います。近いうちに、また1話から見返して、研究します。

以上、失礼しました。「失礼しました」は日曜深夜にツイート数が急増したようです。それはよかった。

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