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「ゆとりですがなにか」についての覚え書き その2 [テレビ番組]

第6話
前回まで持ち上げるだけ持ち上げた手前、期待して見ましたが、正直、今回はがっかりでした。当方としては、直感としていいと思ったら、いいところを探し、直感として悪いと思ったら、悪いところばかり見えてしまう。というだけですので、ご了承ください。

今回の演出は水田氏ではない人でした。水田氏の技が見られず、残念でした。
肝心のシナリオ密度も低下しました。たとえば、坂間の兄が鳥の民に営業にやってくる話は、唐突に出てきて、あっさりと解決しました。安直な展開というヤツです。番組の編成上、9話を10話に伸ばすことが決定し、エピソードを無理やり追加したのかもしれません。今後も時間稼ぎのために、追加したと思われてしまうようなエピソードが出てくる可能性があります。
まりぶの子供は無国籍のようです。主要登場人物の子供が無国籍という問題を解決しないと、ギャラクシー賞はもらえないでしょう。色恋沙汰などよりも、子供が無国籍であることのほうが、はるかに重要な問題だからです。無国籍だと、学校には行けないし、仕事もできないし、結婚もできないし、恋愛に参加することも難しいです。こんな状況の子供をこのまま放置したら、登場人物たちは鬼のようなキャラということになってしまいます。奥さんの親が中国の高官か大金持ちで、あっさりと解決、なんていう安直な展開は勘弁してほしいところですが、それしかなさそうです。
でんでんが演じる野上のキャラ変更は、いくらなんでも突然過ぎなように思います。山岸と鳥の民に来ていたのに、接待は女性のいる店ばかりというのは矛盾しますし。一方で、山岸はいい子になり過ぎだし。もしかすると、民王のように2人のキャラが入れ替わったというオチかもしれませんが、このままだと、ストーリー展開のために、キャラクターを変えた安直なシナリオになってしまいます。「重版出来!」では荒川良々が読者アンケートハガキに関して、5分程度で180度考え方を変えてしまう役をやらされました。そのとき、こんなちゃちなキャラをやらされて、荒川良々は内心怒っているのではないかと思いました。「ゆとりですがなにか」のでんでんの心中も、そのときの荒川良々に近いものがあるのではないかと思います。
クドカンのシナリオは、粗さや矛盾点をおもしろさでカバーしているのですが、第6話はこの欠点が目立ち過ぎたように思います。

ストーリー上、まりぶに不倫をさせる必然性は、山路と対比させることにあったようです。鳥の民の会話シーンでそれらしき会話は出てきたのですが、これだけ話を複雑化してしまうと、着地が難しそうです。単なる人間賛歌で終わらないことを期待します。

松坂桃李の教室内のセリフと、安藤サクラと松坂桃李の旅館での絡みはいいと思いました。
やっぱり安藤サクラはすごいですね。寝ているのか起きているのかわからない、旅館のシーンは、このドラマのなかで最高のハイライトとなるかもしれません。ダダをこねるところさえ見せられれば、セリフなんてどうでもいいのかもしれないと、感じてしまいました。このシーンの安藤サクラには演出家も脚本家も脱帽するしかないでしょう。

キーワード「変わりたい」「変わりたくない」

第6話からは、ドラマの見方に関していろいろと考える材料をもらった、と解釈しておきたいと思います。

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